人生は「シナリオ」である
人生は何度もやり直している、だからこそすでに完璧である、という話の続きです。わしらは、人生がやり直されていることを、知覚できません。だから、すでに完璧な「シナリオ」として成立している人生を、演劇を見るように、体験しているように感じるはずです。
それなのに・・・です。人生はなぜ、こんなに辛いのでしょうか。
人生が辛い。
なぜか。
それは、そこで辛い思いをするように、シナリオに書いてあるからです。
誰がそんなことを書いたのか。
それは、自分で書いたのです。(0011)
いつ書いたのか。
それは、わしらの時間感覚では、自分が「生まれる前」です。(0010)
なぜ、そんなことを書いたのか。
問題は、そこですよね。なぜなんでしょうか。
「辛い人生」を選んでしまった理由
こればっかりはね・・・「個別のドラマ」の話(0002)になってしまうので、一人ひとりに、個別の理由がある、としか、説明できないんですよね。(^~^;)
人によっては、その苦しみを乗り越えて、ドラマティックな栄光を掴む、そういう「個別のドラマ」もあるでしょうし、また人によっては、苦しみの中、挫折と失意のうちに死んでしまうドラマもあるでしょう。
それが、その人にとってどういう意味を持つのか、そして、周囲の人やその他の存在にとって、どういう意味を持つのか。それは、当人にしか、分かりません。「個別のドラマ」だからです。
その人生が、その人の死後に誰かに影響を与えるとか、そういう目的で生まれて来る人もいます。ある人が、苦しみの末に生み出した芸術や技術が、その人の死後に、大いに評価されることも、よくあることです。
また、他人が嫌がることばかりをやる人もいます。その人も、そういう「個別のドラマ」を選択して生まれてきます。もしかしたら、誰かのドラマのために、悪役を買って出てくれているのかもしれませんね。
もちろん、当人たちからすると、そんなことは知る由もないですし、それ「だけ」のために生まれてくることも、めったにないと思いますけどね。
ともかく、汝が今、「人生が辛い、なんとかしたい」と悩んでいるんだとしたら、それは今、汝の人生のシナリオに「人生が辛いのを何とかしたいので、悩む」と書いているところを、汝がちょうど生きているからなんです。
人生は「変わる」のか
そんな汝の「辛さ」は、解消するのでしょうか?それは、未来の汝にしか、分かりません。もしかしたら、解消しているかもしれないし、解消していないかもしれない。今の汝自身にも、きっと分からないでしょう。
ですが、思い出してください。この地獄では、時間が一方向に流れるので(0056)、まだわからない未来のことをコントロールする方法は、たった一つしかありません。
因果関係の「因」を作ること、つまり、何かをすることです。
前回(0058)まで書いてきた、神さまの仕事としての「因果関係づくり」は、未来の結果を見て、原因を作り変える、というものでした。
ですが、わしらはその視点から物事を見ることができないので、わしらは結局「実際に行動する」ことでしか、自分の人生をどうにかすることができないわけです。
もちろん「何もせずにいる」という「行動」をとる、という選択肢もありえます。何もしないことが、必ずしも悪い結果につながるわけではありませんからね。
その結果として、思ったとおりの未来がやってくるかどうかは、それこそ「シナリオ」になんて書いてあるか次第なので、わしや汝には計り知れないんですけれども、ですが、もし汝が「苦しみや悩みの後に、人生の辛さを克服する」体験をする予定なら、きっとそうなります。
でも、そうならなかったとしても、その人生は汝や周囲の存在に、それはそれで意味を与えています。シナリオっていうのは、そういうふうにコントロールされています。
汝が生まれる前に、神さまと汝がいっしょになって、一生懸命に考えて書いたシナリオなんです。絶対に、何らかの意味があります。なんにも意味のない人生なんて、一つもありません。ただの一つもです。
大事なことだから、もう一度大きな声で言いますよ。
意味のない人生なんて、ただの一つもありません。
もしかしたら、このブログにふれる、という経験が、汝の未来に何らかの影響を与えるかもしれませんね。できればいい影響であってほしいと、わしは願っています。
ではいつものやつを。わしの話を信じないように。今回のは、特にです。自分でよく、よく考えてみてくださいね。
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