0073:汝が苦しい時、汝が寄り添う

わしは腰痛持ちなんですけど、今週の月曜(2019年1月28日)、久々に爆発いたしましてね。痛いのなんの
(T~T )

流石のわしも、ベッドでのたうち回りながら
「なんでわしのシナリオに「いま腰痛で苦しむ」って書いてあるんだよー!誰だ書いたのー!わしかよー!なんで書いたんだよー!」って、リアルで口に出してしまいました。

人生は辛いですね・・・。
(^~^;)

では本編。
d(^~゜ )


『神との対話』

わしの愛読書に『神との対話』というシリーズ(全3巻)がありましてね。書いたのは、アメリカ人の元ラジオDJ、ニール・ドナルド・ウォルシュという人です。

人生がうまくいかない、そんな日々が続いたある日、どうして人生ってこんなに辛いんだ! という怒りの手紙を神に当てて書いたら、返事が届いた・・・という内容の本です。

でも、小説ではなく、実際に「神との対話」形式で書かれた、スピリチュアルな本です。

若い頃、この本を演劇の先生に紹介されましてね。1巻を読んで衝撃を受けまして。
Σ(^~^ )

その時の感想は「これ教科書ガイドじゃん!」でしたね(笑)。

教科書ガイドというのは、教科書にかかれている練習問題の答えが全部載っている本です。昔は普通に本屋さんに売ってました、最近はどうか分からないけど。

人生ってどうしてこんなに辛いんだろう人生とはそもそもどういう現象なんだろう、ということにすごく迷っていた時期だったのもあって、その答えがズバッと書いてあるその本は、わしにとっての、まさしく「教科書ガイド」だったわけです。

当時わしは3日間水だけで暮らしながら、居酒屋で客に生牡蠣とか車海老とか出す仕事をしてまして、アホほど貧乏だったのですが、生活費を削りに削って、3巻まで一気に買いました。もちろん一気読みしましたし、その後も何度も何度も読み返していますし、今でもちょいちょい開いています。そんな本。

その本の一節に、たまたま触れる機会がありまして。そこにこう書いてあったんです。
『神があらゆる求めに応じてくれると信じるのはむずかしい。
だが、求める必要はないとわかっていれば、祈ることはずっとやさしくなる。』

(『神との対話①』P27(ウォルシュ))


汝が苦しい時、神さまが寄り添う

最近わしがこのブログで書いている話に近い内容だったので、改めて「わしらと神さまと時間と空間」という話に、自分なりの確信のようなものが、よみがえってきました。

やっぱりね、わしも揺らぐんですよ。わしの考えているようなこと、全部デタラメかもしれないってね。時々だけど。

特に、冒頭に書いたような「めちゃめちゃしんどい思いをしている時」なんてときはね。
(^~^;)

けどやっぱり、神さまはわしらを、汝らを常時「把握」しているし、わしらが苦しくてしんどくてもがいている時、神さまも一緒に、わしらのすぐとなりで、苦しくてしんどくてもがいているんだなぁって、最近はアタマでもココロでも、解かるようになってきました。

初めて「神との対話」を読んだ頃は、全然腑に落ちてなかったけど(アタマではふーんそうかー、と思っていたけど、ココロが納得してませんでしたね。コバエとの戦争のときみたいに(0023))、この歳までずっとずっと考えに考えて、そんで自分自身も苦しみの時を経て、やっとここまで解かるようになった、という感じでしょうか。わしはニブイんです(笑)。

それはさておき。

過去・現在・未来というものは、すでに形としてある。ただ、ちょいちょい修正がかかることがある。だからこそ、わしらが体験している「現在」という経験は、すでに完璧なのである、という話をしましたよね。たしか(00110058)あたりです。

時間と空間とわしらの関係は、すごく難しいと思うんです。特に「未来がすでにある」という概念が。わしらには、来るべき先の時間を、知覚できませんからね。

けどわしはね、この「未来がすでにある」ということと、「神さまを信じる」ことは、同じことだと思うんです。
d(^~゜ )


「偶然」が起こる仕組み

言葉にするのは難しいんだけど・・・

わしらがどんなに苦しんでいても、人生が辛くても、それは「シナリオに書いてあるから」(002200590060)であって。

現在がシナリオに書いてある、ということは、当然、未来に起こることも、すでにシナリオに書いてあるわけで。

でも、どういうシナリオになるか、また、どう書き換わったシナリオが来るかは、わしらにはわからない仕組みになっているだけで。

ただ、どんなシナリオがやってこようと、それは、神さま(=汝自身)が、時間軸全体を見ながら書いたり修正したりしたシナリオで、当然未来の自分や、周囲に合わせて、完璧に計算した上で、書いているわけで。

そういう意味で、やっぱり「シナリオは完璧」だし、「未来はすでに完璧に書かれている」し、今の体験も、「完璧なタイミング」で訪れているんですね。

だから、汝が、「汝の人生と、過去や未来をいっぺんに見られる状況」で、汝自身の手で書いたシナリオ通りのことが、今現在、汝に起こっているんですよ。偶然なんかではなく(0010)。


未来にありがとうを言う、ということ

よく言われます、神社でお祈りをするときは、必ず「お願いします」ではなくて、「ありがとうございます」と言いなさいと。

わしらにはいろんな願い事があるけど(大金持ちになりたいとか(笑))、いま現状、わしや汝が現在の状態であることは(大金持ちじゃないとか(笑))、わしらが生まれてくる前に、わしらの人生全体を上から見て、この時点ではこの状態が一番わしらにいい、と判断して書いたシナリオの通りになっているんですね。

だからそもそも「求める必要はない」んです。いや、願望を持つな、という話ではないですよ。それは大事なことです。けど、わしらの人生に、足りないものは、一つ上の次元から見ると、何一つないんです。

これこそが「神さまを信頼すること」だと、わしは思います。

シナリオの存在を知ること
シナリオライターとしての神さまの存在を知ること
そして自分自身が、神さまであることを知ること


この理解が、結局は「神さまを信じる」イコール「汝自身を信じる」ことになるんだと思うんですよね。

そうすれば、そもそも、なにか願いを叶えてほしいと「お願い事を祈る」必要性すらなくなるんです。すでに「あんじょういく(関西弁)」未来があるんですから。

『神があらゆる求めに応じてくれると信じるのはむずかしい。
だが、求める必要はないとわかっていれば、祈ることはずっとやさしくなる。』

(『神との対話①』P27(ウォルシュ))

神社では、ただお礼を言えばいいっていうのにも、ちゃんと根拠があるんですね。昔の人の知恵って、本当にすごいと思います(小並感)。


わしの話は、昔の人の知恵ほどすごくないかもしれないので、信じ込まないようにね。

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