(T~T )
流石のわしも、ベッドでのたうち回りながら
「なんでわしのシナリオに「いま腰痛で苦しむ」って書いてあるんだよー!誰だ書いたのー!わしかよー!なんで書いたんだよー!」って、リアルで口に出してしまいました。
人生は辛いですね・・・。
(^~^;)
では本編。
d(^~゜ )
『神との対話』
わしの愛読書に『神との対話』というシリーズ(全3巻)がありましてね。書いたのは、アメリカ人の元ラジオDJ、ニール・ドナルド・ウォルシュという人です。人生がうまくいかない、そんな日々が続いたある日、どうして人生ってこんなに辛いんだ! という怒りの手紙を神に当てて書いたら、返事が届いた・・・という内容の本です。
でも、小説ではなく、実際に「神との対話」形式で書かれた、スピリチュアルな本です。
若い頃、この本を演劇の先生に紹介されましてね。1巻を読んで衝撃を受けまして。
Σ(^~^ )
その時の感想は「これ教科書ガイドじゃん!」でしたね(笑)。
教科書ガイドというのは、教科書にかかれている練習問題の答えが全部載っている本です。昔は普通に本屋さんに売ってました、最近はどうか分からないけど。
人生ってどうしてこんなに辛いんだろう、人生とはそもそもどういう現象なんだろう、ということにすごく迷っていた時期だったのもあって、その答えがズバッと書いてあるその本は、わしにとっての、まさしく「教科書ガイド」だったわけです。
当時わしは3日間水だけで暮らしながら、居酒屋で客に生牡蠣とか車海老とか出す仕事をしてまして、アホほど貧乏だったのですが、生活費を削りに削って、3巻まで一気に買いました。もちろん一気読みしましたし、その後も何度も何度も読み返していますし、今でもちょいちょい開いています。そんな本。
その本の一節に、たまたま触れる機会がありまして。そこにこう書いてあったんです。
『神があらゆる求めに応じてくれると信じるのはむずかしい。
だが、求める必要はないとわかっていれば、祈ることはずっとやさしくなる。』
(『神との対話①』P27(ウォルシュ))
汝が苦しい時、神さまが寄り添う
最近わしがこのブログで書いている話に近い内容だったので、改めて「わしらと神さまと時間と空間」という話に、自分なりの確信のようなものが、よみがえってきました。やっぱりね、わしも揺らぐんですよ。わしの考えているようなこと、全部デタラメかもしれないってね。時々だけど。
特に、冒頭に書いたような「めちゃめちゃしんどい思いをしている時」なんてときはね。
(^~^;)
けどやっぱり、神さまはわしらを、汝らを常時「把握」しているし、わしらが苦しくてしんどくてもがいている時、神さまも一緒に、わしらのすぐとなりで、苦しくてしんどくてもがいているんだなぁって、最近はアタマでもココロでも、解かるようになってきました。
初めて「神との対話」を読んだ頃は、全然腑に落ちてなかったけど(アタマではふーんそうかー、と思っていたけど、ココロが納得してませんでしたね。コバエとの戦争のときみたいに(0023))、この歳までずっとずっと考えに考えて、そんで自分自身も苦しみの時を経て、やっとここまで解かるようになった、という感じでしょうか。わしはニブイんです(笑)。
それはさておき。
過去・現在・未来というものは、すでに形としてある。ただ、ちょいちょい修正がかかることがある。だからこそ、わしらが体験している「現在」という経験は、すでに完璧なのである、という話をしましたよね。たしか(0011,0058)あたりです。
時間と空間とわしらの関係は、すごく難しいと思うんです。特に「未来がすでにある」という概念が。わしらには、来るべき先の時間を、知覚できませんからね。
けどわしはね、この「未来がすでにある」ということと、「神さまを信じる」ことは、同じことだと思うんです。
d(^~゜ )
「偶然」が起こる仕組み
言葉にするのは難しいんだけど・・・わしらがどんなに苦しんでいても、人生が辛くても、それは「シナリオに書いてあるから」(0022,0059,0060)であって。
現在がシナリオに書いてある、ということは、当然、未来に起こることも、すでにシナリオに書いてあるわけで。
でも、どういうシナリオになるか、また、どう書き換わったシナリオが来るかは、わしらにはわからない仕組みになっているだけで。
ただ、どんなシナリオがやってこようと、それは、神さま(=汝自身)が、時間軸全体を見ながら書いたり修正したりしたシナリオで、当然未来の自分や、周囲に合わせて、完璧に計算した上で、書いているわけで。
そういう意味で、やっぱり「シナリオは完璧」だし、「未来はすでに完璧に書かれている」し、今の体験も、「完璧なタイミング」で訪れているんですね。
だから、汝が、「汝の人生と、過去や未来をいっぺんに見られる状況」で、汝自身の手で書いたシナリオ通りのことが、今現在、汝に起こっているんですよ。偶然なんかではなく(0010)。
未来にありがとうを言う、ということ
よく言われます、神社でお祈りをするときは、必ず「お願いします」ではなくて、「ありがとうございます」と言いなさいと。わしらにはいろんな願い事があるけど(大金持ちになりたいとか(笑))、いま現状、わしや汝が現在の状態であることは(大金持ちじゃないとか(笑))、わしらが生まれてくる前に、わしらの人生全体を上から見て、この時点ではこの状態が一番わしらにいい、と判断して書いたシナリオの通りになっているんですね。
だからそもそも「求める必要はない」んです。いや、願望を持つな、という話ではないですよ。それは大事なことです。けど、わしらの人生に、足りないものは、一つ上の次元から見ると、何一つないんです。
これこそが「神さまを信頼すること」だと、わしは思います。
シナリオの存在を知ること
シナリオライターとしての神さまの存在を知ること
そして自分自身が、神さまであることを知ること
この理解が、結局は「神さまを信じる」イコール「汝自身を信じる」ことになるんだと思うんですよね。
そうすれば、そもそも、なにか願いを叶えてほしいと「お願い事を祈る」必要性すらなくなるんです。すでに「あんじょういく(関西弁)」未来があるんですから。
『神があらゆる求めに応じてくれると信じるのはむずかしい。
だが、求める必要はないとわかっていれば、祈ることはずっとやさしくなる。』
(『神との対話①』P27(ウォルシュ))
神社では、ただお礼を言えばいいっていうのにも、ちゃんと根拠があるんですね。昔の人の知恵って、本当にすごいと思います(小並感)。
わしの話は、昔の人の知恵ほどすごくないかもしれないので、信じ込まないようにね。
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