0068:怖いものはなぜ怖いのか

新年明けましておめでとうございます(2019年1月現在)。
今年もどうぞ、このWeb辻説法サイト『人生はなぜ辛いのか?と思ったときに読むブログ』を宜しくお願い致します。

正直言うと、このブログをめっちゃ流行らせたいんですよ(笑)。より多くの人に、わしの言葉を届けられたらなぁと思っておりまして。
(^~^ )

なので、どんどん拡散しちゃってください! わしのツイッターのフォローなんかも大歓迎でーす!(@munchausen21)

では本編です。どうぞ!
d(^~゜ )

怖いもの見たさ

わしは、ホラー映画が苦手なんです。
(^~^;)

どうして、お金払ってまで、怖い思いをしなければならないのだろう、と常々思ってしまいます(笑)。

怖さに、あまり耐性がないのかも知れませんね。怖いの、苦手なんですよ。遊園地のお化け屋敷とかも、全然ダメです。角を曲がったところでおばけ(の作り物)が出る、って分かっていても、やっぱり、出てきたらギャー!!って言っちゃう。
(T~T )

けど、映画やゲームやお化け屋敷の世界で、こういう「怖い体験」が、エンターテイメントになっている事実は知っています。これを「楽しめる」人がいるってことですよね。

わしにとっては、とても不思議なことなんですけど・・・
(^~^;)

それらを楽しめる人に言わせると、「だって映画だし、作り物だし」ということなんですけど、だと分かっていても、わしはやっぱり怖いんです・・・。


恐怖の地獄世界

さて、わしや汝の住んでいる世の中には、怖いものや、怖いことがたくさんあります。

なぜって、わしらが住んでいるこの世界は、地獄だから、でしたね(0004)。

地獄に生まれて来る前にいる天国と違って、地獄では時間が流れますし、生存をする必要性があるのでしたよね。

なので、わしらはどんな手を使ってでも、生きながらえなければならないですし、たいがいの生き物は(人間を含めて)、そのための手段を選ばないもんです。

ライオンはシマウマを襲って食べますし、クモは巣にかかったチョウチョを食べます。人間も、牛や豚を飼育して屠殺して食べますし、稲や小麦を刈り取ってタネを食べます。その時、自分がより多くの食べ物を得るために、他人を貶めたり、他者を蹴落としたり、色々な争いを起こします。

それらの手段が持続的にうまくいくものだったらいいですが、わしのような「生きるのが下手くそ」な個体は、どこへ行っても、誰といても、うまく生きられなくて、それ故に、沢山の「怖い思い」をすることになります。


「恐怖」のメカニズム

「恐怖」の根源は、生存本能からくる危険信号です。なんとしても今、身を守らねば死ぬ、という直感から来ています。

その仕組みは、前にも書いたけれど(0034)、好き嫌いゲージが急激に「嫌い」の方へグイッと傾くことによって、起こるんでしたね。

この時、普段から上手にモトあつめ(0030)ができるのなら、またモトを集めて回復できるので、一時的な「あー怖かった」で済むのですけど(ゾンビ映画を見て楽しめるタイプの人は、きっとこうなんだろうなと想像しています(笑))、モト集めが慢性的にヘタクソなわしなんかは、一度恐怖の状態になってしまうと、なかなか好き嫌いゲージが回復しないんですよね。

慢性的に好き嫌いゲージが「嫌い」に寄りやすくなっていると、アタマの使い方や、カラダそのものが、身を守るために、それに合わせて変化してしまったりします。

アタマなら「どうせまた嫌なことがあるだろう」とクヨクヨしがちになるし、カラダの方は、慢性的な恐怖状態で脳が萎縮してしまったりとかするらしいですね。ここまでいくと、好き嫌いゲージも、なかなか「好き」に動いてくれなくなるでしょう。

そうなったら、もうお医者さんに相談して、専門的な治療をした方が、楽に辛い人生を解消できるかも知れません。わしも目下治療中です。
(^~^;)


手を合わせて見つめるだけで

前回(0067)、

「恐怖は、対象を見つめれば、消えてしまう」

と書いたことを覚えていますか?

怖いものっていうのは、わしらが「怖がる」から、「怖いもの」として、わしらの前に立ちふさがります

「見つめる」というのは、勇気をもって観察し、その正体を見極めると、対処法があると気づくことがある、というくらいの意味です。

物事は、「ただ」存在しています。ただそこにあるだけなんです、本当は。

それに対して「怖い!」と思っているのは、わしら自身なんですよね。内部処理の問題、と言えます。

その内部処理」をどうするか、によって、恐怖は解消するかも知れない、という話をしたかったのですが・・・

ちょっと字数オーバーですね(笑)。次回また続きを書きます。お楽しみに!
d(^~゜ )



では例の様式美をば(笑)。わしの話を信じないこと。

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