0085:お金あつめと汝の幸せ

お金あつめ

お金を集める方法については、ずっと昔から、それこそ有史以前から、たくさんの人が考えてきました。

それだけ、お金ってものは、多くの人の関心ごとだったんですね。今でもそうですけど。

古くから、たくさんの人がいろいろな商売を試してきたし、それらが当たったり外れたりして、当たった方法はまた形を変え品を変え、現代まで受け継がれていたり。

そのうち、たくさんのお金を持った人が現れて、その人たちが「お金でお金を増やす」方法を編み出したりして、お金あつめはどんどん複雑になってきました。

現代では当たり前の「金融工学」なんかが、政治の世界にも組み込まれたりして、時にトラブルの元なんかになってたりして、なかなか複雑です。

こういうのを見ていると、いやホント、お金って何なんやろなーって思いません?
(^~^;)

特に、お金がお金を増やすなんて、なかなかよく考えられていますよね。誰かが価値を生み出しそうなところに投資して、利ザヤを取るわけですから。

ただ、価値がいつまで生まれ続けるかは、誰にも分らないので、いつか限界が来る日があるのかな、なんて個人的には思ってます。けど、結局、お金あつめの上手な人が、またうまいことを考えるんだろうな。


わしのお金あつめ(悪い見本)

前にも書いたけど(0084)、わしはお金あつめが人一倍ヘタクソなので、ずっとそれこそ1円2円に困るような暮らしをしてきました。なので、前述のような、大きなお金がダイナミックに動くような世界は、なかなか想像がつきません。

で、そんなわしが、幸せなのかどうか・・・と考えると、どうか。

正直ね、キツイ時期が多かったので、その時は、相当しんどかったです。全然幸せ感はなかったかな
(^~^;)

健康的な食事をするのも難しいような状況なのに、若かったのもあって、欲しいものもたくさんあったし(プレステとかXBOXとか)、行ってみたい場所もたくさんあったし(コミケとか握手会とか)、そういうの全部ガマンして、ただもやしだけ食って生きる人生に、いったい何の意味があるのかなぁなんて、考えていましたね。
(T~T )

35歳の時ですけど、アイドルの卒業コンサートに、1600円握りしめて、京都から東京まで行ったこともありましたよ。食べ物は百均の板チョコ1枚、食パン1斤、あとはマヨネーズを吸ってしのぎました。1600円はCDと握手会で使いましたのでね・・・
(^~^ )

いやはや、彼女の手は柔らかくて温かくて、そして彼女の声で直接自分の名前を呼んでくれるなんて、もう死んでもいいと思いましたね。幸せでした。

そのころからかなぁ・・・お金と幸せって、そんなに連動してるわけじゃないんだなぁって、思うようになったのは。


人はなぜお金を欲しがるのか

お金がたくさんあると、よりたくさんのことができるようになりますよね。

例えば、お金がなかったら、食べるものがうまい棒一択になってしまったりするけど、お金があれば、もう少しボリュームのあるものを食べる、という選択ができるようになります。

ほかにも、もっと柔らかいトイレットペーパーを買ってもよくなるし、もっと広い家に住んでもよくなるし、週末に出かけられる場所も、公園から自家用クルーザーでの船上パーティにグレードアップできますし。

こういう「より良い経験」というものは、たくさんのモトをもたらします。モトは好き嫌いゲージ(0015)が「好き」寄りの時、もっと増やせるようになるんでしたよね。

だから、より「好き」なものに囲まれている時、そしてより「好き」な経験をしている時、自分の周りで、意識するしないに関わらず、モトは増えていっています

モトが増えている時、わしらは「幸せを感じる」ようにできています。

だからです。だからわしらは、こぞってお金を集めるんです。モトを増やして、幸せを感じやすくなるからです


お金ではなく、モトを集める

確かに、モトを増やす近道として「お金を集める」というのは、結構有効だったりします。

前述の通り、お金によって得られるものや経験によって、好き嫌いゲージを上げることは、とても分かりやすい「幸せの形」ですからね。

では、わしや汝の「幸せ」に、お金の力はどこまで有効なのでしょうか。

前回(0084)書きましたよね、お金というものは、モトを見える形にマネしたものだって。

モトをやり取りする、その概念がないので、かわりにお金を利用しているんだって。

だからマネーっていうんですかね?(笑)。
(^〜^;)

だから結局ね、お金は、

モトのまがい物

にすぎなんじゃないか?とわしは思うんです。

お金は確かにとても便利な道具だけれども、やっぱり、それ以上でもそれ以下でもないんですよね。

わしらが本当に欲しいものは「モト」であって、だからモトの量が満たされていれば、わしらはお金があるかないかに関わらず、幸せを感じながら生きられるんじゃないかって、最近そんな風に思うことが増えました。

もし、もとあつめ、という概念がなければ、その代替品であるお金(や価値のあるもの)をやり取りするしか、幸せを感じる手段はなかなかないのかもしれません。

でも、わしらには、汝にももちろん、すでにツールがあります。

モトあつめ

というツールが(0030)。
d(^~゜ )

次回、そういう話をしましょうかね。ではあれを。わしの話を信じないこと。

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