0093:自分のココロで

さて、このブログも90回を超え、そろそろわしの話も大詰めを迎えようとしています。

いや、終わらせるつもりはないんですよ(笑)。でも、「人生が辛い理由」をひと通り話してしまう段階に、そろそろ来ているんじゃないかと思っています。

なので、100回目くらいを境に、一度ブログの更新ペースを下げようかと思っています。

前に「本にしたい」なんてほざいておりましたが(笑)、そういう作業に当てようかな、と思っておりましてね。

わし虚弱体質だから、デイケアに通っていると、他のことをする時間が、どうしてもほとんど取れないんですよね・・・なので、本にするとなると、その作業に時間がとられてしまって、ブログの本編が今までのように更新できなくなりそうな気がしています。

ま、今でもそんな頻繁に更新できてないんですけど・・・
(^~^;)

けど、まずは、せめて100までは、突っ走らないとですよね(笑)。本編行きましょう。


自分をだましちゃいけないよ

Love is over
最後に一つ 自分をだましちゃ いけないよ
(「ラブ・イズ・オーヴァー」欧陽菲菲)

これはわしが小学生の頃、母親がカーステレオで聞いていた曲なんですけど、わしは母の車の助手席に座ってこの部分を聞きながら

「自分をだます、なんてことが、できるのかなぁ?」

と、無邪気な事を考えていたのを覚えています。

ちびっこのわしには分からなかったけど、長らく大人をやっていると、自分にウソばっかりついてしまいます。

心当たり・・・ありますよね?
(^~^;)

お金をかけたくないとか、面倒事をおこしたくないとか、他人に嫌われたくないとか、理由は様々ですけど、でも、なんというか、自分の「本当の気持ち」にフタをして、何も感じてないようなふりをして、日々をやり過ごしてしまおうとする・・・そういうこと、ある程度オトナをやってると、ちょいちょい経験するんじゃないかと思います。

それは確かに、社会という場所で、他の人といっしょに何かをする場合、必要になる場面も多々あるでしょうし、それで円滑にものごとが進むことで、最終的に自分が得することだってある。だから、大人として必要なたしなみだというのは、間違いないんだと思います。

だけど、ね。ずっとオトナやってると、分かんなくなりませんか?
自分の「本当の気持ち」ってやつ
(^~^;)


ココロにも個人差がある

ずっと前に書いた通り(0015)、わしらのココロには「好き嫌いゲージ」というものが備わっていて、自分の周囲にあるすべてを「好きか・否か」で自動的に分類しています。

じつは、この好き嫌いゲージの「動き方」には、人によって大きく差があります

様々な状況で、ゲージの針が激しく【好き←→嫌い】の間を動き続ける人もいれば、同じ状況でも、あまり針が動かない人もいます。

筋力トレーニングで、同じだけトレーニングしたとしても、全員が同じだけ筋肉がつくわけではないのと、大体同じですね。ココロにも、個人差があるのです。

最近は「HSP」という言葉が広く知られるようになりました。これは「Highly Sensitive Person」の略で、とても繊細な人、というほどの意味です

少し前までは、人は同じ刺激に対しては、同じだけの痛みや不快感を感じるものだとされていましたが、最近はそうではなく、痛みや不快感に、特に敏感な人のグループがあることが分かってきて、その人達を指す言葉として、用いられています。

イルセ・サンという人が書いた本「鈍感な世界に生きる敏感な人たち」にセルフチェックがついているんですけど、わしはどうやらこのHSPに該当するようでした。興味がある方は、ぜひご一読を。
(^~^ )


ま、そういう人は特にそうなのではないかとわしは思っていますが、要するに先の「好き嫌いゲージ」がよく動く人、というのも、こういう特徴に関係があるのかもしれませんね。個人差があるということです。

なので、同じ状況を目の前にしても、その辛さに耐えられる人と、とても耐えられない人とが、いるということです。


わしのココロ、汝のココロ

だからこそなんですよ。

前回(0092)書いたような、

「自分はどうなのか」が、人によって全然違う

んです。

つまり、汝のことは、汝にしか、分からないんです。

汝にわしのことが分からないように、わしにも、汝のココロの中のことは、さっぱりわからないんです。

ほら、わしらは、望んでそういう世界に来ているんでしたね(0021)。じゃんけんするために
d(^~゜ )

広い世界、たくさん人間がいる中で、汝のココロのなかの、好き嫌いゲージの針が今、どの位置にあるのか、それが分かるのは、汝だけなんです。

けどね・・・さっき書いたみたいに、わしらはオトナとして、それを見ないように、見ないようにして社会に溶け込むように、知らず知らずのうちに、自分を訓練してしまっています。

「自分をだまして」


生きてしまっているんですね。多かれ少なかれ。

これでうまくやってるうちはいいですけど・・・人生が辛いのであれば、そこを見直した方がいいのかもしれません


自分のココロ、本当の姿

前回のテーマだった「自分で決める」ためには、この「自分はどうなのか」は、とても重要な指針です。

だって、自分で自分のことがわかってないのに、自分を幸せにできるわけ、ないですもんね。
(^~^ )

けどね、案外、自分のことって、わかってないんですよねわしら。

鏡には、自分の正面を映すことができるけど、背中や後ろ頭は、なかなか見えないもんです。

それに、鏡って左右逆ですもんね。自分の本当の姿を、映しているわけではないんですよ。

自分のココロのありようも、なかなか自分で完全に把握するのは、難しいもんです。

わしらには、ココロのほかにも、アタマがあるんでしたね(0007)。わしらは普段、アタマでものを考えるので、ココロがどう「在る」のかは、どうしても二の次になってしまいがちです。

だけど、やっぱり、自分のことを自分で決めようと思った時、最終的に「選べ!もう一度」(0091)をやるときに、

最後に決め手となるのは「自分のココロ」

であるべきだと、わしは思っています。

なぜなら、幸せを感じる(=人生を辛くなくする)、そのパーツは、ココロだからです。

ココロが納得していないのに、どうしてココロが「幸せを感じる」でしょう。

自分をだましても、幸せにはなれないのです。
d(^~゜ )

汝の幸せは、汝にしか、わからない。だから、汝自身で、汝自身のココロと、よく話し合いましょう。

自分の手で、もう一度選び直すために。


(・・・わしの話、信じないこと。よろしくね)

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