0102:誰かのせいにしなくてもいい話。

人生は誰の「せい」なのか

♪終わることなどないのだと 強く思い込んでれば
♪誰かのせいにしなくても どうにかやっていけます
(『謝謝!』スピッツ)

人生が辛い時、わしがよく思っていたことがあります。

それは、

「誰の『せい』で、こんな目にあっているんだ?」


ということでした。


カネがない。好きな人にモテない。欲しいものが手に入らない。

一体、誰のせいで、何のせいでこんなヒドイ目にあっているんだ? とね。


今思うとね・・・この「誰のせいなんだ?」という発想は、めちゃめちゃモトを浪費しちゃうんです。

だから、こんなふうに、なにか起こるたびに「誰かのせいだ」「自分のせいだ」と思っている間は、人生はいつまでも辛いままなんじゃないかなーと、最近は思っています。


ま、誰のせいだ? という疑問を突き詰めた結果、モトやうにや神さまといった考えにたどり着いた経緯があるので、わしにとって、全く無駄ではなかったのかもしれないですけどね。
(^~^;)


未来のせいで過去が変わるとき

そもそも論として。

誰かの「せい」という考え方は、因果関係が一方通行だから出てくるものです。

ほら、地獄では、因果関係が過去から未来へ、一方通行なんでしたね(0056)。

原因があって、結果がある。この、至極当たり前に思えることは、この世界が「地獄」だから、通用するんです。時間が過去から未来へしか、流れないからでしたね。


だけど・・・時間というものは、本当は「軸」なんでした(0067)。過去も未来も現在も、一本の軸上に存在して、要は、一つ上の次元からみたら、すでに全部あるんです。

だからですよ。わしらの視点からすると

「因果関係が逆転する」

ことも、よく起こっているはずなんです。
d(^~゜ )

言葉にすると、「未来の結果を変えるために、過去の原因を変更する」という感じになると思うのですが、ピンときにくいかもしれないですね。

ただ、物事がこういう順番で起こることも、実際にはしょっちゅうあっているんだというふうに、考えてみてください。

「誰かのせい」が、未来の出来事にあるかもしれない、とね。

そうなったら・・・未来のことがわからないわしらには、もうお手上げなんですよ。
(^~^;)


何のせいか考えるのはモトの無駄遣い

だからです。無駄なんです。

何かのせいにしようとするのって、無駄なんですよ。わからないことがあるんだから。
d(^~゜ )

確かにね、過去の教訓を、未来に活かすことって、大事なんです。だから、何か良くないことが起こったときに、原因究明をするのって、大事だと思うんです。

けど、それも、やりすぎないことが大事なんだと思うんです。

いつも、いつでも、良くないことを「誰かのせい」にしようと、してませんか?


この「良くないこと」は、誰のせいだ? 何のせいだ? わからない・・・

そうやってハラハラ、ハラハラし続けると、どんどん、モトが消滅していきます


心配することの話のときにも、同じことを書いたけれど(0070)、

誰の「せい」かは、考えるだけ無駄


なんです。モトを浪費してしまうからです。


何度も書くけれど、モトが減ると、好き嫌いゲージ0015)が減ってしまいます。

好き嫌いゲージが減ると、幸せを感じづらくなります

つまり、人生が辛くなります


人間は、本来弱い生き物なのかもしれません。だから、何かの、誰かの「せい」にすると、安心して、楽になる気がするんです。自分は悪くない、と思い込めるからです。

けどね、自分の人生を、幸せなものにできるのはね、結局、自分だけなんですよ。

誰かに幸せにしてもらおう、と考えているうちは、好き嫌いゲージが上がりづらくなります。奪う「モトあつめ」をすると、相手からモトをもらいづらくなるからでしたね(0081)。

だからまずは、自分の手で、自分の人生を、地に足をつけて運営していく方法を、考えてみましょう(0092)。そのほうが絶対早いし、楽しいです。


人生が辛い時、ついつい習慣でこの「誰のせいか」考えてませんか? こういうのを「あきらめる」0090)と、人生の辛さが、すこしだけ、楽になるかもしれませんよ。
d(^~゜ )

ではアレを。わしの話を信じないこと。

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