0049:【総復習2】:モトの話~うにのトゲ理論

前回(0048)から引き続き、これまでの総復習と参りましょう。人生が辛い、その理由を、一生懸命解き明かしていく途中でしたね。


見えない何かでつながっているわしと汝

他者なんて面倒なもんがいなかったら、人生は辛くないのかもしれません。わしも、これまで何度も何度もそう思ってきました。特に学生の頃から大人になってしばらく、ずっとずっとそういう思いに囚われてきました。

けれど、他者がいないと幸せにもなれないんですよね・・・わしらは結局、他の人の仕事の上で、生きてるんですからね。


そういう意味で、社会と自分というものは、切っても切り離せないものではあるんですけど、こういうのも「言われないと理解できない」(0047)んですねわし。情けない話です。
(T~T )

それはさておき、そういうつながりだけではなく、具体的な「つながり」というものが、自分と他者にはある、という話でした。それは、もともと自分と他者は同じものなんだという話から、始まりましたね。

んでもって「どうして同じなのか」というところから始まったのは「モト」の話でした。


モトの世界

モトについては、ずいぶんたくさんのことを書きました。なにせ、今の所、わし以外のだれもこの「モト」について知らないでしょうからね。そりゃそうです、わしが考えたんだから(笑)。
(^~^;)


モトといのは、この世界のあらゆるものを構成する素粒子(一番小さな粒子)で、この地獄世界のあらゆる座標にギッチギチに詰まっていて、そんでもって電光掲示板の要領で、空間になったり存在になったりして、わしら生き物や、その他の物質を、地獄世界に「表示して」いるんでしたね。


そう、モトというのは、有ったり無かったりするものでありながら、常にそこに「在る」んです。色即是空・空即是色ってやつですかね。
d(^~゜ )

その仕組みとしては、3次元空間の裏表を行ったり来たりして、表側であるこちらからは見えなくなる、というのを、わしは考えています。なので、「在る」のに「有無がある」という考えです。

で、わしらの3つのパーツはこのモトでできていて、だから当然、ココロもモトでできているのですよ。で、わしらはこの、ココロの素材ともいうべきこのモトを、日々やりとりしながら生活しているという話でした。


語源はスマホのゲーム「ねこあつめ」

モトのやりとりというものは、他の生き物の体を食べるという物理的な話だけでなく、ココロココロが直接やり取りしたりも、しているんでしたね。そういうココロでのモトのやり取りを、わしは「モトあつめ」と呼んでいます。

モトは、生き物が他者に注目したとき、自分からそちらに流れていきます。そして、他者から注目されたとき、注目した方から自分に集まってきます。これがモトあつめの基本です。

そして、ココロはモトのジェネレーターでもあります。感動したり、嬉しかったり、愛を感じたとき、ココロは空間に在る「無」のモトを「有」に変える力を発揮します。こうして、ココロは周囲のモトを「増やすことができる」んでした。


モトあつめは、この二本柱で行われています。

そのモトあつめに重要なのは「好き嫌いゲージ」でしたね。ココロがどういう状態にあるのか、それを表すのが好き嫌いゲージです。

好き嫌いゲージが「好き」の方にあるとき、モトは生まれやすくなります。逆に、「嫌い」の方にあると、モトを失いやすくなります。モトは、いたずらに消耗すると、「有」から「無」に逆戻りしてしまいます

わしらの人生が辛くなくなるためには、この「モトあつめ」を、いかに効率よく上手にやるか、にかかっていると言えます。

わしら「人生が辛い」組がやるべき修行は、ここです。
d(^~゜ )


イッツアスモールワールド

ここまでの話を総括するものとして、わしが用意したのが「うにのトゲ理論」でした。

わしらは一つの塊みたいなもんで、本当は同じものでできているんだけど、お互いがお互いを別の個体「他者」として認識してしまうようなシステムになっている(じゃんけんしたかったから)。その土台となる考え方です。

世界の始まりの時(我々のいう「時間」とは別の概念なんでしょうけどね)、この世にはたった一つの「ココロ」が、ぽつんとある状態でした。それがたくさんの「他者」どうしに枝分かれして、我々人間というもの(ホントは生き物全部)があるんでしたね。そのモデルは、ちょうどトゲトゲした「うに」に似ているんでした。

わしらは、うにのトゲの先っちょに過ぎない、という話です。ホントは足元でつながってるけど、よく見えないんですね。

わしらが「自分と他者が本質的には同じもの」だったり、「他者とワイヤレスでモトをやり取りできる」仕組みなんかも、このうにのトゲ理論で説明できたりします。わしらは本当は、同じ一個のココロが枝分かれしているに過ぎないんだってことでした。

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ではこの後は、いよいよこの「うに」の正体に迫っていきたいと思います。
このたった一個のココロとは、一体誰なのか。わしらとは、一体誰なのか。
そういう話になると思います。

・・・けどその前に、次回が50回目ですので、ちょっと箸休め書こうかな(笑)。

わしの話、信じちゃダメよ。

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