神さん(関西弁のアクセントで)の話
神さまの話をするのですが、前回(0052)書いた通り、この言葉には人それぞれのイメージがありすぎるんですよね。なので、ここでわしがいうこの「神さま」というものは、「人生というシステムの構築者・管理者」くらいの意味で取ってください。
「神さま」という表記も、「神」「神様」という表記をわざと避けています。これは、わしの言う「神さま」が畏れ敬うものではなく、システムとして理解するもの、我々が利用するもの、そして、我々のそばにいる友達みたいなものだという発想からです。
ニュアンス的に、関西弁の「神さん」あたりが近いのかもしれません。そういうノリで解釈してくださいね。
(^~^ )
神さまの材料とは
ではその「神さま」の話を続けましょう。(^~^ )
わしらは一体なんなのか? その答えの一つが「わしらは神さまである」というものです。
そう、「うにのトゲの先っちょ」であるわしらの、目に見えない足元のどこかにある、うに本体の正体、それを指して「神さま」と呼ぶんでしたね。
d(^~゜ )
ここでちょっと、思い出して欲しいことがあります。
前に書いた通り(0020)、この世の始まりの時、この世には世界は一つで(今は天国と地獄に分かれているんでしたね(0010))、そこにはただ一つ、ココロがポツンとあるだけだったんです。
そのココロが、色々な人生を体験したくて、枝分かれしてできたのが、わしの言う「うに」でした。
ここから分かることが、一つあります。
神さまとは、何なのか?
答えは「ココロ」です。
神さまは、ココロでできている存在です。誰の、とかではありません。神さまのココロです。
そしてもう一つ思い出して欲しいのが、ココロの材料って何だったの?という話です(0027)。そう、モトでしたよね。ココロって、モトでできてるんでした。
つまりです。
神さまはモトでできている
ことになります。わしらは、ココロもカラダもアタマも、モトで作られた存在でしたね(0027)。
要するに、わしらは神さまと同じものでできているんです。
大事なことなのでもう一度言いますよ、
神さまとわしらは、同じものでできている
んです。神を「畏(おそ)れる」習慣
神というものは、多くの文明で、畏れ敬われてきました。なぜなら、人間の力の及ばない、自然災害や病気や生と死といった現象、その源こそ「神」であるとされてきたからです。しかしです。神さまはわしらと、同じものでできているんですね。
なので、神さま自身はそこまで、畏れ敬って欲しいとは思っていないんじゃないか? とわしは考えています。
むしろ、たった一個のココロしかないことを、寂しがっていたからこそ、わしらを作ったんじゃないかってね。
(^~^ )
ま、想像の域を出ない話ではあるのですが、わしの言う「神さま」は、わしらの人生というシステムの維持管理をしながら、わしらの冒険を見守っているのは、間違い無いと思います。
ただし、です。世の中には、ガチで人間に悪影響を及ぼす、目には見えない存在があるらしいので、それを安易に考えないように。それは僕の言う「神さま」の一部ではあるものの、本質ではありません。神さまはあくまで、システム全体の構築者・管理者です。ご注意ください。
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では次回も、神さまの話を続けましょう。いつものアレですが、わしの話を信じないこと。
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