0052:アナタハカミヲシンジマスカー?

チョットイイデスカー?

わしと汝ら、全員をつなぎとめている「うに」(0043)。
その正体は、わしらが古来より「神さま」と呼んできた存在です。

いやでもね、正直言って、この「神さま」って言葉、できれば使いたくないんですよ。だって、神さまの話、て書いただけで、もう胡散臭いでしょ??
(^~^;)

特に、現代の日本という場所では、宗教にはどうしても胡散臭いイメージがつきまとっていますし、特定の宗教を信仰していない人の割合が、他の地域に比べて圧倒的に多いですし。

なので、欧米やイスラム圏、アジア圏に比べてわしら日本人は「神とは何か」と考える機会って、少ないんですよね。

それに、街や村のあちこちにある神社仏閣、お地蔵さまのお堂。特に信仰がなくても、わしらは事あるごとにそこへ行きますし、お参りもしますよね。だから何というか、神とか仏とかっていうのが、恐るべき信仰の対象ではなく、もっとずっと身近で、どちらかというと様式美のような、形式的な側面があるのかなぁと。いや、もちろん人それぞれだと思いますけどね。

だから、急に「神の話をしよう」なんて言われても、怪しい新興カルト宗教の、悪いイメージがアタマに浮かんでしまったりする汝も多いんじゃないかと思います。わしもそうです。
(^~^;)


人生のアーキテクチャ(設計者)

ですがやっぱり、「人生とは一体どういう現象なのか」という命題を考えるにあたって、この「人生」というシステムを「デザインして、運用しているのは誰か」という話は、絶対に避けられないんですよ。
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世の中にあるものは、すべからく、そこにそれがある理由というものがあります

人生もそうです。

人生は誰かが作ったから、在るんです。

誰かが作ったということは、その「誰か」には、人生というものを「作った理由」があるんですね。

なので、最終的には、それを解き明かしてしまわないと、人生とは何か?というものの正確な答えは、見つからないままです。

だから、やっぱりこの話は、どうしてもしなければならないんです。胡散臭いと思いますけど、お付き合いいただければ幸いです。


神さま、という「仕組み」についての話

わしは現在、特定の宗教団体に属してはいませんし、家の宗派が何宗で、とかいうのもないです。両親は他界していますし、次男坊ですから仏壇もないですし。

ですから、神さまの話をするということになっても、なんらかの宗教の信仰する、特定の神さまの話をするわけではないです。

あくまで、これまで話してきたような、人生というものの「仕組み」の上で、それを統括する存在として、適当な言葉がないので便宜上、それを今ある言葉で「神さま」と表現しているんだと思ってください。

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前置きが長くなってしまいましたが、次回から具体的な「神さまの話」に入ろうと思います。例によって、わしの話は鵜呑みにすることなく、必ず自分なりに考えてみて、疑ってみてください。

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