0138:5-4-1:地獄と天国①

5-4-1【地獄と天国】①


世界は「二つ」

僕はモトの観点から、「世界」は二つに分かれていると考えています。すなわち、僕たちが生まれる前・死んだ後にいる「天国」と、僕たちが今生きている「地獄」とです。

 それ以外の、もっと上位世界なんかもあるかもしれませんけど、少なくともそれは僕らが今生きている世界とあまり関係ないですし、「今の人生を何とかする」役には立たないので、あったとしても意識する必要はないと考えています。
 それより、「辛い人生」を何とかするためには、僕たちが「今この世界にいる理由」の方が重要だと考えているので、僕はこのように

「天国」「地獄」の二つ

に分類して考えています。

 どうしてそういう呼び名を付けたかというと「あの世」「この世」ではまず分かりづらいし、名前が実体を表していないと考えたからです。それに対して「地獄」「天国」という呼び方は、割とスッキリ実体を表していると思っています。


この世は文字通りの「地獄」

まず「地獄」についてです。

 さきほど、僕たちが生きている世界には『大いなる矛盾』が存在する、と書きました。僕たちはこの矛盾の上で生きるように仕組まれています。この『大いなる矛盾』には、この世界に生まれた者が

全員もれなく「苦しい思いをする」

ことが織り込まれています。

 それは単に、生き物を殺さなければならない、という心情的な苦しみに限らず、「死を怖がる」生き物が「必ず死ぬ」という恐怖や、死ぬときに「肉体がダメになる苦しみ」が、どの生き物にも必ず降りかかるような『仕様』になっているからです。
 お釈迦様が『一切皆苦』を説いたのも、きっとこの事実にお気づきだったからなのでしょうね。

 そして、僕たちがこの「苦しみの世界」から逃れる唯一の方法は「死んでしまうこと」だけなんです。なぜって、僕たちは死ぬまでは生きていますからね。すべての生き物は「生きている状態」では「もともといた世界」に戻ることはおろか、死後の世界が「存在するかどうか」すら、分からなくなっているんですから。

 こういう仕組みだからこそ、この世界は『地獄』だと言い切っていいと思うのです。今の僕たちは「地」の「獄」に囚われた、地獄の亡者なのです。

 ですので、僕たちは死んでも「さらなる地獄」へは行きません。理由は単純、そんなものはないからです。ここがすでに地獄で、僕たちは死んだら単に「もともといた世界」へ戻るに過ぎないのですから。

(続く)

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