0131:4-4-1:モトから見た「『愛』とは何か」の答え

4-4-1【モトから見た「『愛』とは何か」の答え】


「愛」とは何か?

『モト』という概念があると、人類がその黎明期からずっと悩んできた疑問

愛とは何か?


に、ものすごくあっさりと、そして明確に答えが得られます。

 ではもうここでいきなり、それを明らかにしてしまいましょう。愛とは何でしょうか・・・その答えはこちらです。

『愛とはモトの「量」である』



愛はココロの仕事

ほら、身も蓋もないほど、あっさりと明確に答えられました。すごいでしょ? モトって(笑)。
 繰り返しますが、愛とはモトの量です。もっと具体的に言うなら、ココロがたくさんの量のモトを持っている状態を「愛」といいます

 これは「何リットル以上」「何グラム以下」といった特定の数値の話ではなく、自分のココロの好き嫌いゲージが「モトが多い」と感じているかどうかの話です。好き嫌いゲージがかなり「好き」寄りで、すなわち「モトがたくさんある」と判定している状態が、愛の状態です。

 ココロがどう感じているか、という問題なので、ある人にとっては「少ない」と感じるモトの量でも、また別の人にとっては「多い」と感じるかもしれません。その場合は、同じ『量の数値』でも「多い」と感じている人のみ「愛の状態」になっているということです。

 この状態になると、ココロは自動的に、周囲の「『無』の状態のモト」を「『有』の状態のモト」に変え始めます(第二章参照)。ココロが持っているモトが増えていくのです。ココロには「そういう機能」が備わっているのです。

 そしてこれはあくまで「ココロの機能」です。僕やあなたがアタマでどれだけごちゃごちゃ考えようと、ココロがその気になってくれないと「愛」の状態にはなれません。


恋愛によるモトの枯渇と「愛」

先程見たように、カップルが「恋愛アピール合戦」をしているときは、大量のモトをジャブジャブやりとりするので、ココロがモトの「量」で満たされ、愛情を感じます。この状態も一種の「愛」であると言えます。

 ただし、恋愛関係の場合は『落とし穴』があるんでしたね。モトの供給源が急に途絶えることがあると。
 モトの供給が途絶えたら、当然ながらココロが持っているモトの量が減っていくので、僕たちは「愛の状態」を保てなくなります。そうして二人の関係は冷えていくんでしたね。

 ですが・・・カップルには「長続きする」二人もいますよね。交際からの結婚後も愛情が途絶えず、文字通り「死が二人を別つまで」添い遂げるようなカップルもいます。この人たちって、どうなってるんでしょうね?

 もしあなたの「人生の辛さ」の原因が恋愛に関するものだったとしたら、こういったいわゆる「おしどり夫婦」のようなカップルの関係から学べることはたくさんあるかもしれません。


「おしどり夫婦」のヒケツをモトで達成する

愛とは、形のないもので、かつ、目に見えないものです。だから人類はこれまで「いったい何を『愛』と呼ぶのか」で随分悩まされてきました。

 これまでの人類はずっと、人類の始まりと時を同じくしてこの「愛とは何か」について考えてきました。
 そして長い歴史の中で、たくさんの人たちが自分なりの答えを見つけ出して、実践してきました。いわゆる「おしどり夫婦」の二人も、そういう

「愛の実践者」


なのかもしれません。

 愛とは「モトの量」なんですよね。こういう「愛の実践者」たちは、実際はココロがモトで満たされている状態をキープしているわけです。もちろん「それと知らずに」です。だって『モトの量』なんて、これまで誰も意識的に「増やそう」とか「キープしよう」とか考えてなかったわけですから。
 それでも、ココロが広くアタマが優れていた「愛の先人」たちは、自分なりの「愛とは何か」という解釈を考え出し、そして実践してきたわけです。

 そして今、我々にはすでに「愛とはモトの量」という、とても分かりやすい指標を手に入れたわけです。加えて「モトあつめ」のやり方、という概念もあるわけですから、どうすれば「愛の状態」になりやすいかを、数少ない「愛の先人」たちのような感覚的なものではなく、歴史上初めて

アタマで考えて、理屈で達成する


ことができるかもしれないところにいるのです。だから『モト』は画期的なんです

(続く)

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