0135:5-1:「生きている」という現象をモトから考え直す

第五章 人生という『現象』をモトで紐解く(仮)


5-1【「生きている」という現象をモトから考え直す】


人生はなぜ「存在する」のかを考えてみよう

前章では、多くの人の関心事「恋愛」「お金」について、モトの視点から解説していきました。
 「モト」という観点からこれらを観察すると、思いもよらないような新しい気付きがあるのではないかと思います。特に、恋愛については構造が単純な分、とても分かりやすい説明ができたのではないかと思います。

 このように、モトを介して人間関係やこの世界を観察すると、今まで漠然としていたようなことにも、明確な『説明』ができるようになるのです。

 ではこの章からは、「人生の辛さ」についてのもっと根本的なこと、例えば

・人生はなぜ「ある」のか?
・僕たちが生きているこの世界は「どこ」なのか?
・僕たちはなぜ「死ぬ」のか?
・僕たちは死んだらどうなるのか?
・いつか死ぬ世界で、幸せに生きる方法はあるのか?

 こうした人生の「システム的な苦しみ」に切り込んでいこうと思います。もちろん、先ほどと同様に

「モト」を通して


これらの現象を見ていきたいと思います。


人生が辛いという「感覚」について

人生が辛い。

 人間誰しもそうだと言われるけれども、そうは言っても、やっぱり自分の苦しみは、他人にはなかなか理解されない。
 楽しいことや嬉しい経験も、人生にはチョイチョイあるけれども、やっぱり生きていくのは苦しいし、辛い。
 人生とはそういうものだ、と自分を無理矢理に納得させて、生きていくしかない。

 ・・・多くの方は「人生」というものを、こういう風にとらえていらっしゃるのではないかと思います。どうですか?

 さて、この本の第一章の冒頭で書いたことを、覚えていますか?

『人生が辛い、それはなぜかというと、幸せを感じる機会が少ないからです。』

 このときは幸せを感じる機会が『少ない』と書いたけれど、実際問題として、今まで感じてきた「幸せ」の量や回数が多いか少ないかは、それこそ人それぞれです。性格にも生い立ちにもよると思いますが、本当に多種多様な「感覚」の問題なので、同じような境遇でも、人によってはそれをとても「辛く」感じてしまうかもしれません。

 人の感覚について、最近は巷でも耳にするようになった「HSP」という概念があります。
 これは「Highly Sensitive Person」の略で、とても感受性の豊かな人、くらいの意味です。このHSPに該当する人は、他の人より外部からの刺激に敏感だとされます。
 例えば、同じ力で尖ったものを押し付けた時、一般の人よりHSPの人のほうがより「痛み」を強く感じる、という具合です。
 他にも、光や音、匂いや味、暑さ寒さなどの刺激に敏感なので、他の人より疲れやすく、街の雑踏や生活音、テレビやスマホの強い光が苦手だったりするんだそうです。

 こんな風に、同じ刺激でも、人によっては至極ニガテだったり、嫌いだったりすることがあります。感覚というのは本当に「人それぞれ」なんですね。


自殺という「知的活動」

とはいえ、たとえどんなカラダで人生を歩んでいたとしても、僕たちは「生きて」いかなければなりません。なぜなら「生き物だから」です。

 生き物には「死なないようにしなさい」という本能が組み込まれています。ですから通常、人間以外の生き物は自殺をしません。
 逆に考えると、人間という生き物は「自殺」ができるくらいには、アタマが発達しているといえます。

 自殺という手段を選ぶためにはまず

「生き物は死ぬ」

という知識が要ります。そして、

「どういうときに生き物が死ぬか」

という知識も要ります。これらは、世界全体を見渡して

世の中が「生き物と生き物以外」に分かれている

ことを知らないと理解できませんよね。その上で、

自分は生き物だから、死ぬことがある

という自覚が必要でもあります。

 このように、自殺をするというのは、非常に高度な知的活動なのです。
(念の為、これは思考実験で、僕が自殺を推奨しているのではありませんできればしないでください・・・この本はそのための本です


「モト」という新しい叡智

自殺一つをとっても分かるように、人間という生き物はとても特徴的で、他の生き物よりずっと「知的な活動」ができます。

 その「知的活動」をたくさん積み重ねて、人類はたくさんの「叡智」を生み出しました。発明品や科学の法則、心理学や医学などなど。そして、生活をより豊かにしてきましたよね。

 そして、僕たちが「生きていくことの意味」そのものにも、たくさんの知恵がもたらされました。古くはお釈迦様やイエス、ムハンマドといった宗教上の偉人たちや、ソクラテスやプラトン、カントやデカルトといった哲学者たち、近年は科学の世界からもこういった

「人生とは何か」

といった彗眼がもたらされています。

 そしてついに・・・人類はそれらの知恵を一つにまとめ、生と死や人生の意味といった哲学的・宗教的な事柄に明確な答えを見出す方法を見つけ出しました。そう、何を隠そう、それこそが

『モト』

です。モトの概念があれば、僕たちが生まれてくる理由からこの世界の構造、生き物が存在するわけや時間の仕組みなどなど、あらゆることが矛盾なく説明できてしまいます

 ね? モトってすごいんですよ!(笑)

「個別のドラマ」

とはいえ、当面の問題は「自分自身の人生の辛さをなんとかしたい」ということにつきますよね。ですから第一章でも書いたとおり、できるだけ身近なところからこの「人生とは何か」という疑問の答えを紐解いていこうと思います。

 そのために、一つどうしても知っておいていただきたいことがあります。それは

『個別のドラマ』

と僕が呼んでいる概念です。

(続く)

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