0140:5-5-1:地獄に「堕ちてくる」のはなぜか①

5-5-1【地獄に「堕ちてくる」のはなぜか】①


地獄世界での「幸せ」とは

この世は「地獄」です。これは比喩ではなく、文字通りそうなんです。この世界は苦しむことをベースに作られています。

 では、この地獄世界で「幸せに生きる」なんてことが、本当にできるのでしょうか・・・って、できますよね? それはみなさんもきっとご存知のはずです。

 確かに、この世界には苦しいこと・悲しいこと・イヤなこと・面倒なことばかり、たっぷり用意してあります。トーストを落としたときだいたいバターの面が下を向いてしまったり、人前でけん玉をするときに限って成功しなかったり、リモコンがすぐ見当たらなくなったり、ガソリンが無くなりそうなときに限ってスタンドが見つからなかったり。

 でもね、人生には「幸せな瞬間」って、一度はあるはずなんです。

 「人生が辛い」「人生はい辛いことばかりだ」というアナタの人生にも、ほんの一瞬だけでも「ホッ」とするような経験って、あったはずです。たとえば・・・ものすごくトイレに行きたいときに、やっと見つけて個室に飛び込んだ時・・・。あれも「幸せな感覚」の一つです。

 幸せ感は「感覚」なので、そういうときでも「あーー!よかった!これが人生の醍醐味だ!!」という喜びを感じる人もいれば、「チクショウ、やっとこさかよ・・・トイレなんてそこら中にあればいいのに」と毒づく人もいるでしょう。
 ですがどちらの場合も「苦しみから少しだけ開放される感覚」を味わっています。これも地獄世界のささやかな「幸せな瞬間」のひとつなんです。

 僕たちがわざわざ、天国からこの地獄世界にやって来る大きな理由の一つが、こういう「幸せな瞬間」を

『体験する』

ためです。もちろん、トイレの例もその一つですけど、それだけではありませんよね(笑)。


『両手じゃんけん』しか「できない」世界

実際問題、さきほど少しだけ書いたけれど、天国では「苦労することができない」んです。やろうと思ったらやれるけれど、それは「苦労した先に成功するか失敗するか知っている」状態でやらなければならないんです。

 僕はこれを

『両手じゃんけん』

の状態と呼んでいます。

 みなさんは自分の両手で、一人でじゃんけんをしたことがありますか? もしないのなら、今すぐやってみてください。
 これ・・・面白いですか? まあはじめのうちは面白いかもしれませんが、両手とも自分の意志で動かすので、少なくとも「勝ち負けのわからない勝負」には、なりませんよね。

 じゃんけんの醍醐味って、勝負にあると思うんです。相手がどんな手を出すのかわからないから、勝ってうれしかったり、負けて悔しかったり、アイコでドキドキしたりできるんですよね。

 天国で「わざと苦労をする」ときって、この「両手じゃんけん」の感覚なんです。勝負にならないんです。
 苦労しても達成「できない」ことがはじめから分かっていたら、苦労する道を選ぶ必要はないし、苦労して達成「できる」ことが分かっていても、何事も苦労せずとも達成できてしまうので(時間と空間の概念が違うので、思いついた瞬間に結果を手にしているんです)、やっぱり苦労する選択をする必要がないんですね。

 向こうの世界にいる人にとって、こういう「苦労を乗り越えて幸せを掴む」だとか「苦労して失敗することで、何かを学び取る」ような経験って、地獄世界でしか体験できない『アコガレのアクティビティ』なんですよ。

 だからみんな、こぞって地獄世界に降りてくるんです。

「人生が辛い」と思っているアナタも、もちろんその一人だったんです・・・かつてはね

(続く)

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