0147:6-3-2:他人の「習慣」との戦い方②

6-3-2【他人の「習慣」との戦い方】②


「私以外は私じゃない」ので……

もし自分自身のそういう「困ったちゃんの習慣」に嫌気が差しているなら、結局は自分で気がついて、自分で変えていくしかありません。
 逆に言うと、自分で気がついて、変えようと思えば、変えるチャンスがあるということです。

 ところが、僕たちは「他人を変える」ことができません。これは、絶対にできないんです。理由はたった一つ、他人は、自分ではないからです。

 もちろん「他人に変わってもらう」ために、手助けすることはできます。アドバイスをしたり、嫌味を言ったり、こちらが手本を見せたり。だけど、結局変わるのは「その人」であって、僕らがその人の考え方や習慣を「直接変える」ことは、できないんです。

 この地獄では「他者の考えていることがわからない仕組み」になっていますよね。これは「仕組み」なので、僕たちがどうこうできるものではありません。すべての生き物は、その生を自分の力だけで全うしないといけないんです。

 だから、僕たちが「困ったちゃん」に遭遇したときにできることも、突き詰めるとただ一つだけなんです。それは

「今、自分はどうするか」を、自分で決める

ということです。


習慣と習慣のぶつかり合い

僕たちは結局「自分がどう振る舞うか」をコントロールすることしかできない生き物なんです。ですから、そういう「困ったちゃん」を目の前にして、どうするのか? 自分で決めていかねばなりません。

 そして大抵の場合、こちらも「習慣」をぶつけてしまいます
 人生は長くやればやるほど「たくさんの習慣の集合体」になってしまいますので、どんなときでも「あのときのアレ」をもう一度やる、という「習慣漬け」の生き方になってしまいがちです。

 どうしてかというと、そのほうが「アタマが楽」だからです。
 アタマは常に周囲の状況に気を配って、自分の周囲にあるものが自分にとってどういうものかを判断し続けています。ですから、すごく忙しいんです。忙しいから、自動化できるところはできるだけ自動化しようとします。
 毎日、朝起きて家を出るまでのことを「考えながら」やるのはくたびれますよね。歯ってどうやって磨くんだっけ? 服のボタンってどうやってとめるんだっけ? トーストってどうやって焼くんだっけ? なんて、考えていたらキリがありません。アタマの活動にもエネルギーがいりますので(ブドウ糖だと言われています)、いちいち考えずに自動的にやれたほうが、節約できますもんね。

 こういう節約を、人間関係や日常の多くの場面で行いながら僕たちは生きています。そして長生きすればするほど、新しいこと・新しい人に出会ったときにも、この「習慣」で切り抜けようとするクセが出てきます。

 人生が辛い時は、この「習慣」について考えると、突破口が見つかることがよくあります。自分の「困ったちゃんの習慣」についてだけでなく、そういうものに街で出会ったとき、どうしてますか? ちゃんとその場その場で「アタマ」を使っていますか?
 アタマが習慣でエネルギーを温存するのは、そういう「必要なとき」のためです。その時こそ、温存したエネルギーを使うときなんですよ

 だからその場その場で「アタマ」をしっかり動かして
・自分が今、何に困っているのか
・その「困ったちゃん」に対してどう接しているか
・接し方を「習慣化」していないか
考えてみると、その時はエネルギーがいるかも知れないけど、あとあと人生が辛くなるのを防げるかも知れませんね。


習慣を「選び直す」ことで人生の辛さを緩和しよう

というわけでこの、時に便利な道具であり、時に厄介なトラブルのもとである「習慣」について考えてきました。この「習慣」というのも、

・僕たちが三つのパーツでできていること
・僕たちのココロがモトをやり取りしていること
・アタマ働きの自動化が「習慣」の正体であること
・僕たちが変えられるのは、僕たち自身だけだということ

こういう知識があれば、ある程度はコントロールしやすいのではないかと思います。

 「習慣」というのは、味方につけると人生を大きく助けてくれます。アタマを上手に動かして、「よい習慣」を身につけるように生きると、人生の辛さはずっと楽になるはずです。というわけで結局、人生が辛い時は「良い習慣」をたくさん身につけて、もっともっと効率よく

モトを集めましょう!


(続く)

0 件のコメント :

コメントを投稿