0160:おわりに

おわりに

「僕の話を信じないこと」

僕の考えた「与太話」にここまでお付き合いくださり、どうもありがとうございました。そうです、ここまで本一冊分の文章がありましたが、これらは全部、僕がアタマでこねくり回したにすぎない
「与太話」
です。根拠なんて何にもありませんし(もちろん、たくさんの本やネット情報、今までの伝聞を参考にしてはいます)、確固たる証拠もありません。だから「はじめに」でもお伝えした通り、

「僕の話を信じないこと」

というスタンスだけは、絶対に守ってください。

 人間の脳みそは、たかだか2キロ弱ぐらいしかないそうです。僕は体重が95キロほどありますので(2020年2月現在)、約2パーセントくらいの重量しかないことになります。そんなちっぽけな器官で考え出したことなんて、たかが知れています。
 もちろん、個人的には「これこそが正しい!」と思うことを文章にしているつもりなのですが、その「正しさ」も、様々な情報や経験に触れるにつれ、次第に変化しアップデートされていくもので、今現在の「時刻」に僕が「正しい」と信じていることが、今後もそのまま「正しい」という信念たり得るか、今の僕には分かりません。

 自分自身ですらこうなので、ぜひ僕でないみなさんには、さきほどのスタンスを絶対に持っていただきたいと思っています。

 一番いけないのは、

妄信してしまう事

です。
 たしかに、モトの話はとても魅力的で、一見素晴らしい真実に見えます。ですが、何事もそうだと思うのですけど、他の人が言ったこと、書いたこと、やったことはあくまで「情報」です。僕たちは自分が幸せになるために、それらから自分に必要な物だけを取捨選択すればいいだけなので、全部をまるまる「信じ込んでしまう」のはとても危険だと思っています。必ず、ご自分の経験や知識と照らし合わせて、一見「正しそうに見える」ことについても、ご自身で「アタマで」検証してみてください。必ず、です。


『モト』というアイデア

では最後に、この「モト」という発想はどこから来たのか、どういう経緯で今回「書籍」としてまとめることにしたのかを書いてこの本を終わりにしたいと思います。

 僕は中学生くらいの頃に初めて「自分もいつか死ぬ」という恐怖を感じました。友人に当時よく読まれていた『ノストラダムスの大予言』の本を借りて読んだ時です。1999年に人類が滅亡するかも、と書かれたその本を読んで、僕は「ああ、24で死ぬんだ!」と驚愕した後に、震えるほどの恐怖を覚えました。アホですね(笑)。

 もともと、容姿に恵まれず、性格がねじ曲がっていたイヤな子供だった僕は、人生とはままならないことの連続体だと子供ながらに思っていました。ですから、24歳で死なねばならない、という妄想に憑りつかれると、そこから先はもう
「なぜこんな辛いことばかり起こり続けるのか?」
「どうして幸せに生きる方法が一つもないまま死ななければならないのか?」
「どうしてこんな「人生」なんてもんが「ある」のか?」
という疑念ばかりを抱えて生きてきました。

 大学生になって、初めて「スピリチュアル」という概念に出会います。それからいくつか本を読んで、この世界には「仕組み」があるのだ、という感覚を少しずつ積み上げていくようになります。
 その頃からでしょうか、スピリチュアルな世界でよく「目に見えない不思議なエネルギー」「心や精神の持っている力」「神の光」などと呼ばれるスピリチュアルな考えと「現実世界」のかい離を埋める方法を考え始めたのは・・・。

 スピリチュアルや宗教で「この世界はまやかしだ」とか「私達は幻を見ているに過ぎない」とかいうこともよく言われるのですが、そういったことは現実を生きている自分にはなんかピンとこないな、という「違和感」のようなものを僕はずっと抱いていて、それらをなんとか「解決したい」と考えを突き詰めていくうちに、最後にたどり着いた答えに当たるものが「モト」でした。


モトと僕

「モト」という名前は、日本語の「もと」=元、素、基、源を表すと同時に、ラテン語起源の「moto」=動き、動くことを表すネーミングで、自分でも結構気に入っています。
 モトは常に動いていますが、「移動」することはありません。この矛盾を満たす「構造」として三次元空間を捕えた時、先程の「スピリチュアルな世界」だけで言われてきたことを、初めて現実の世界と結びつけることに成功しました。

 このことを思いついたのが28歳の頃だったと思います。ラバランプという装飾ランプを見ていたとき「三次元空間に裏面がある」という発想が急に沸き起こって、そこから芋づる式に「表裏を行き来する素粒子」という発想にたどり着きました。これがのちに「モト」と命名されることになるアイデアです。

 僕はこの「モト」と、そこから考えられる「人生という『仕組み』」の考察に夢中になりました。
 その頃の生活は、自分に発達障害があることを知らないまま、心身に無理をさせて非正規の低賃金労働を転々としていたため、まさに「地獄のような」毎日でした。ですからどちらかというと「社会」を恨んでいましたし、そういうわけで、この「モト」のアイデアも自分だけの知識にとどめて、他の人には教えないでおこうなんて意地悪なことを考えていました。

 それから15年ほど月日が流れまして、その間にリーマンショックからの派遣切りや就職活動の5年にわたる失敗などを経て、完全に社会という場所に失望していた数年前、自身の発達障害(ASD)が発覚し、そのための社会性訓練を受ける機会に恵まれました。

 デイケアに通って、発達障害者向けの社会性訓練と、コミュニケーション能力の訓練をがっつり三年やることになるのですが、その中で初めて「自分と同じことでつまずいて、社会に絶望している人がたくさんいる」ことに気づきました。
 僕は、社会という場所は、僕より幸せな人たちが、きらびやかに生きている場所だとばかり思っていました。ですが、そうではなく、どんな人も多かれ少なかれ「人生という苦しみ」を抱えたまま、それでも「生きなければならない」場所こそが「社会」なんだと、初めて気づいたのです。

 僕個人の障害特性として「人に言われないと周囲の人間関係に気づけない」というものがあります。デイケアに通い始めるまで、そういう「社会」というものの本当の姿に「自分で気づけないまま」生きていたんですね。僕は人一倍ニブイんです(笑)。


モトのことをブログに

そういう新しい「社会観」が芽生えるにつれ、僕が温めていた「モト」から見た新しい世界観を「人に伝えていかなければならない」という使命感のようなものが出てきました。実際に、僕は訓練を通してこの「モト」の動きや性質を応用して、それまででは考えられなかったような、円滑で楽しいコミュニケーションをすることができるようになっていきました。その経験が、同じようなことで苦労している「仲間」の役に立つかもしれない、という思いがむくむくとわき上がってきたんです。

 その思いをぶつけるように、僕は2018年から

「人生はなぜ辛いのか? と思ったときに読むブログ」
https://jinseihanazeturainoka.blogspot.com

というブログを始め、書きなぐり始めました。書けば書くほど、今まで漠然と僕のアタマにあったアイデアが形になっていく手ごたえを感じ、結局100エントリーまでノンストップで書き上げました。
 ブログ自体は2020年2月現在も継続中です。ですが、その100エントリーの内容を、もっとわかりやすく、もっと広く人に伝えたいという思いから、このたび本という形にまとめることにした次第です。


この本について

この本は、そのブログで書きなぐった内容を「もっと分かりやすい順番で」「もっと身近な所から」「もっと理解しやすく」再編集したものです。
 実は、本当ならもっと長くなる予定でした。ですが、みなさんのお手もとに「より早く『モト』の話を届けたい」という思いもありましたので、ひとまずこの一冊を早く世に出すことを目標に書いてきました。デイケアでの訓練や、障害者向けの作業所で働きながら、合間合間をぬって毎日コツコツと書いてきましたが、今はようやく完成して一安心というところです。

 「おわりに」の冒頭で「僕の話を信じないとこ」と念押しをしましたけれど、それでもこの「モトの話」の中に、みなさんがご自身の人生の苦しみを少しでも和らげる「何か」を見つけて下さったら、著者として幸甚の極みです。

 最後になりましたが、この本を世に送り出すお手伝いをして下さった全てのみなさまに感謝を込めて。モトがいっぱいありますように!


2020年2月7日

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